グレゴリオ聖歌は9世紀から作られたミサ曲です。この中の「過ぎ越しの犠牲」(Suquence. Victimae Paschali)は、ワークショップでもよく取り上げる曲なので、少し掘り上げておくことにしました。

「過ぎ越しの犠牲」の歴史・背景

形式

続唱(Suquence)はもともと、アレルヤという祈りのうたの末尾についていたメリスマ(歌詞がなく母音でうたうメロディ)に歌詞をつけたもの。後になって、そこにメロディを覚えやすくするために歌詞がつき、そのうち、もともと歌詞がついた続唱が作られるようになりました。この「過ぎ越しの犠牲」は、そうした頃につくられたものです。この曲は息の流れとメロディとが調和していて、歌を練習している生徒さんに母音唱でやってみたりもするのですが、もともとこの形式はメリスマだった、と知って、なるほど、と思いました。

この曲は、今もミサで用いられている5つの続唱のうちの一つで、ブルグンドの修道僧ヴィポ Wipo of Burgundy(11世紀)の作とされ、典型的な初期の形を示すもの。

(音楽史 グレゴリオ聖歌からバッハまで・カールパリシュ ジョン・オール共著 音楽の友社から引用)

内容についても触れておきましょう。

過ぎ越しの犠牲、の意味

”過ぎ越し”は旧約聖書において、モーセがユダヤ人とともにエジプトをでたとき、戸に羊の血をつけておいたことで災いを免れたことから、災いを過ぎ超す(災からのがれる)という意味なのだそうです。これが、後に復活祭と重なり、春の行事なのだそう。
犠牲、は、そのときの羊、そして、主イエスを指すものです。

「過ぎ越しの犠牲」の音律ドリア旋法について

この曲は普段私達が耳にしている、長調とか短調、という音階ではありません。

教会旋法のうちのドリア旋法、といって、レから始まります。

ファ
終止音支配音

教会旋法の場合、主音・属音、というものかわりに 終止音・支配音、という「音の役割」があります。この曲はレから始まりラを経過してレにもどるフレーズが多いですね、これが終止音と支配音の感じ。確かに、主音、というのとは感じ方はちがうけれども、そこへ戻る、感じはありますね。
(下の楽譜はわかりやすく現代譜に変換しています。)

過ぎ越しの犠牲 楽譜

utenaの考察/「過ぎ越しの犠牲」を懐かしく感じるのはなぜ?

この曲をみなさんに提示すると、参加された方は口々に、どこか懐かしい、ということを言われます。

拍や拍子に制約されない穏やかなメロディもせいあるでしょう。

私は、くわえて、このレから始まり、ゆれてレにもどる、この自然さもあると思います。

これは、わらべうた に近い気がするのですね。「さーよーちゃん、遊びましょ。」と呼びかけるときついうたにしますよね、そのときの「さー」ではじまり「よー」でゆれて「ちゃん」で戻る、それは、「さー」を主音と呼ぶには、地に足がついた感じがしない、もっと、風に揺れて戻る、くらいのゆるさがあります。

主音は、「私」という帰着点に近いなにかがありますが、この戻る感じはすこし違う。
また、どちらかといえば短調のようにも聞こえますが、主音の一つ前が半音でなく全音なので、それも、主音としての機能のゆるさにつながっていると思います。

このドリア旋法の性質を生かしたポップスもいろいろあるので、探してみるのも楽しいかもしれませんね。( グリーンスリーブス・サイモンとガーファンクルのスカボロフェア など。ゲーム音楽にもよく使われているらしいです。)

グレゴリオ聖歌の指揮法・キロノミー

当時、聖歌の指揮法として、キロノミーがありました。

これは、楽曲のもっている律動(アルシスとテーシス)を曲線で表し、描いて、指揮に応用したものだそうです。これを紹介している 水嶋良雄は次のように書いています。

音楽のリズムが我々の生命的リズムの1表現であるならば、生命的リズムに根ざすところの何らかの手段でもって、それを表示しようとはかることが、無意味なことであるとは言い切れない。いや、むしろこの指揮の要求は、多数の演奏者が 共同で一つの音楽を作り上げようとするとき、音をあわせ、揃えようとする最低限の要求からも、起こってくる。

グレゴリオ聖歌・水嶋良雄著 音楽之友社より

私はこれを、utena drawing が生まれてかなり経ってから知ったのですが、感じるところが近いなあと思いました。

きっと、この過ぎ越しの犠牲もそのようにして、集う人たちで音楽を共有していったのでしょう。

音楽の息遣いと、演奏者の息遣いをあわせる utena drawing

utena music field のワークショップでは、音楽の息遣いと参加する人、演奏する人の息遣いをひとつのこととなるように、感覚や体験から促していくutena drawing という方法を使います。これは、キロノミーと同じように、「音楽を描く」ことによって、音楽のエネルギーを伝え合うものです。そうすることによって、音の上がり下がり、フレーズ、リズムなどにリアリティをより感じ、ダイナミックかつ繊細な音楽を実感することができます。それはさらに演奏にもつながってきます。

この「過ぎ越しの犠牲」もメロディの素朴体験が得られやすいことから、ワークによく使用する曲です。歌詞については今回は触れませんでしたが、母音・子音の流れも美しいので、メロディをよくあじわったあと、歌唱として共有することもあります。

グレゴリオ聖歌

参考図書
音楽史 グレゴリオ聖歌からバッハまで
カール・パリシュ ジョン・オール共著 服部幸三訳(音楽之友社)

・・・・音楽史と書いてありますが、バッハまで、です。大学の時の音楽史のテキストで、ゆ~っくりと一曲一曲聞きながら進みました。そして殆ど覚えていない・・・・(^^)でも、おかげで音楽の始まりに興味を持つようになりましたが、バッハ以降は独学せざるを得ませんでした。楽譜は現代譜のみです。(絶版)

グレゴリオ聖歌
水嶋良雄著 (音楽之友社)

キロノミーについて、とアルシスとテーシスの定義について、詳しく書いてあります。
こちらも古い本なので現代譜のみでの表記です。(絶版)