2025.12.14 実感音楽リ論

ピアノの指使い(運指)を手の構造から捉え直し自然な動きを掴む方法

ピアノの運指で困っている

こんな人に

ピアノの楽譜に書かれている運指(指使い)が難しいと感じ、その通りにしようとすると音楽が停滞してしまう・・・そんな方に。
あるいは、指導するのについ「それ指使い間違ってます」と指摘してかえって、生徒さんを緊張させてしまったことがある、そんな先生に。
あるいは、運指に問題はないけれどもピアノを滑らかに演奏するためのコツを知りたい方に。

ここで書いていくのはピアノの指使いで悩んでいるという場合、

指遣いを覚え込む前に、まず
親指の付け根の使い方からやってみたらいいですよ

という話です。
ここがピアノの手の動きの構造のかなめ。
親指(1の指)の付け根、2の指との間が緩く広がっていくことが、運指の原理につながってるんです。

そして運指(指使い)は、こんなふうに手を動かしていけば音楽が自然に流れるよというよいアドヴァイス。

その動きがわかってくれば、書いてある数字にも納得がいくし、自分で考えることもできるようになります。
でも、運指は、とかく縛られて窮屈に感じたり、音を拾うだけでも大変なのに情報過多で無視しがちだったり、ギクシャクしたり(絶対守れ!というものでもないのですが・・・)・・・悩ましいですね。

*親指の付け根は「ひろげる」動きと、「くぐらせる」動きとがありますが、ここではひろげる動きについて書いています。

運指はボタンとボタン穴じゃない

運指は手という立体的なシステムの動きを示唆したものです。だから、5つの数字を追うのではなくて、その動きを掴むことを先に考えた方が良いのです。

指番号だけをボタン穴とボタンのように掛け違えないようにってやっていると、ピアノを弾く手の構造になっていきません。だからなかなか動きとしての滑らかさが生まれてこないし、さらに運指で情報過多で混乱する、ということになってしまいます。


理想は、楽譜から音楽が見えてきて、自然に手がその音にふさわしい指を配置していくというのが良いと思うんですね。その結果としての楽譜に書いている運指です。文字通り、「指の運び」ですね。指使いというより運指と認識した方がよいです。

大事なのは、指番号を書いてあるまま守ることではなくて、その動きの原理と手の構造がフィットしていくことなんです。指番号はその結果相応しい場所に指が動いていく、ということでしかない。

ということで実際「親指のゆるかやな動き」がどういうことにつながっているのか・・・。

(前提)指番号は音の高さじゃない

逆に指番号に頼って楽譜をちゃんとみない(初期)というやり方も、指番号の読み方を間違えていて、それでは先へつながって行きません。楽譜と指番号をド=1、という捉え方を最初からやっちゃうとちょっと先ですぐにつまづいてしまいます。1は親指。2は人差し指、と、指先と番号を連動させて覚えておく習慣が大事。左手はおうおうにして逆に覚えている人もおおくてこれも、どっか音の高さと勘違いしてるんじゃないかなと思う時もあります。これもしっかり修正しておきましょうね。指の番号には音ははりついてはいません。

うちの音楽教室では、小さい生徒さんでも、指番号で楽譜読んじゃう子には修正ペンで譜面から数字を消しちゃいます。それで、楽譜を指番号で読んでしまう癖ができないように強制的にやって、音符と音が連動するようになってから指番号の意味を教えます。めんどくさくても、ちゃんと音符読まないとダメだぞって。これも柔らかな親指の付け根をつくるちょっとしたコツ。

1・2・3・4・5=は指先の番号であって、音の高さとは全く関係ない

当たり前のようだけど、案外混同している人も多いので、ちょっと脇道だけど、書いておきます。

原理・主要三和音の動き

さて、ここから本題。

運指・指番号が「手の立体的な動きを示唆したもの」だといいましたね。それを掴むのに最適な練習の方法があります。それが主要三和音の動き、です。私は「正しい指使いで」とは言いません。「自然な動きをつかむつもりで」やってみましょう、と言います。
なんかもうイメージが違うでしょう?実はここの意識転換が大事。

主要三和音・・つまり ドミソ ドファラ シレソ の三和音です。間にドミソを挟みます。

動きは、基本のドミソから上に開いてドファラ元に戻してドミソ下に開いてシレソで、元に戻す。

まずはこの和音を何も考えずに弾いてみましょう。自分の右左それぞれの真ん中の音(ミ〜ファ〜ミ〜レ〜ミ〜)はどんな指使いになっているかを観察しておいてください。

ちなみにこの主要三和音は、西洋音楽(楽譜に書ける音楽)の原体験といってもいいものです。「原音楽」とでもいうか・・そこにはトニック(ドミソ・おうち)からサブドミナント(ドファラ・冒険にでかける)ドミナント(シレソ・再び家を目指す)からトニック(ドミソ・お家へ帰る)というの音楽的ストーリーの一番シンプルな原型でもあります。運指も大事ですが、このストーリーも楽しみながらよく耳を澄ませてやって行きましょう。

そして、ここでは、、ピアノを弾くその手の基本の「き」があるので、まずはこれを自然な動きで捉えていきましょう。

・・・の前に。

そうでした。その前にやっておくことがあります。
大事なのは、指番号どおりに指を持っていくことではなくて、自然な親指の動きです。でも、鍵盤が見えるとつい人はもとのボタンとボタン穴作業になりがち。なので、蓋を閉めて、そのイメージを変えていきましょう。

ここでは、指番号のことは忘れて、ただ手を緩く開いたり閉じたりします。

片手ずつ。手のひらの中はふんわりと膨らませておきます。

そして、すこし親指と小指の間を開いてみます。その時、ピアノを弾く手の最初の動きとしては、1と2の間を開きます。指を等間隔に開いてしまうと、鍵盤からずれてしまいますからね。

この何はともあれ、まず1と2の間から開く、ことが大事。しかも滑らかに。人間、何かを握る時、親指だけひらいて他の指と反対の動きをするでしょう?だから、これは無理のない動きだからあまり身構えないで、身体の声を聞くといいです。

動きに慣れたら、今度は1と2の間を開きながら、手のひらの中全体を膨らますように動かしてみましょう。肘が軽く一緒に動くのがわかるでしょうか?

扇状に開いた手
蕾が膨らむように開いた手
こちらでひらくと、肘も少し緩むのがわかります。

片手になれたら両方の手を。

ピアノの蓋を開けて

では、実際に右手だけ弾いてみますが、ちょっと鍵盤の上でさっきやった動きをやってみましょう。意識するのは1と2の指の間から開いていくこと。

では、その動きで「ドミソ⇨ドファラ」の動きへ移行してみます。手首も柔らかくね。
親指の付け根が動くと、ミにあった3の指は自然にファに移行するはずです。

こんどはそのひらいたドファラからドミソに戻してみましょう。3のゆびがファからミに戻りますね。

次はドミソからシレソへ。
1の指が広がるのにつられて、2の指がレに置かれるのでそこで音を鳴らします。
ここで大事なのは、やっぱり2の指先を持っていこうとしないこと。手全体をふんわりとして親指から動く。とにかくこれがピアノを弾く手の動きなので、ここでは正しい指使いではなくて、その動きを捕まえることが目的です。

ドミソに戻ります。真ん中は3の指にもどります。

真ん中の指番号を書くと下のようになります。

もし「親指を開いてその位置へ移動する」のではなくて「ボタンとボタン穴」思考になっていたら深呼吸をして一つ一つの動きをゆっくりとやりなおしてみましょう。

次は左。

左の場合は、指がシンメトリーについているのだから当然と言えば当然なのですが、右とは逆になります。つまり、左のドファラの動きはそのまま右のシレソの動きになるので、真ん中の音は2の指になります。
そしてシレソのレは3の指に。

原理がわかったら、片手ずつゆっくり一連の動きとして

ドミソ ドファラ ドミソ シレソ ドミソ とやってみましょう。

いまはハーモニーでやっていると思いますが、一音ずつアルペジオでも試してみてください。つまりこれが基本の動きになり、ここからどんなに広がってもとにかくまずは親指の付け根を軽く開けていくわけです。それで距離感も掴んで行きます。

結果ではなく体験を重視する

utena music fieldの音楽プロセス体験

「正しい指使い」という捉え方は、いわば結果に身体を揃える、ということなので、そうじゃない捉え方をしよう、という方向でutena music fieldは観察・指導します。なにかもっと大事なげんりがあるはずだ、と。音楽というのは常に動きであり、響きなのですから、結果主義にならず、そのプロセスを聴いていこう、という方向で何事も模索していくのです。この理論を音楽プロセス体験理論と言います。

「正しい指使い」という結果に身体を揃えようとすると、そこに生まれるべき音楽的な仕草はどこか機械的でむりのあるうごきになっていきます。もちろんそこから音楽性を掴んでいく人もいるでしょうから一概には言えないのですが、多くの人がそれで結局急がば回れ、の、イソガバ、になっているのをたくさんみてきました。

運指も音楽の一部です。ここで書いた方法は、そこに人間の身体と融合した音楽の仕草があるので、たとえ最初はうまくいかなくってもいいからそっちから掴んで行ってみませんか、という提案なんですね。ボタンとボタン穴でやりこんできてしまっている人は、動き以前に意識の持ち方を変えていく必要があります。

また、運指に使う神経がそのまま音楽と連動していく方向が、結局音楽への意識も深まって行きます。物理的に指使いを身体に繋いでいくのは、音楽とは別の意識がそこにはさかってくることになってしまいます。いずれ運指というのは、無意識でもできるのがいいのです。

音楽の心と指が繋がる

音楽プロセス体験は「音と音の間の解像度を上げる」にはどうしたら良いか、ということもいっぱい考えました。「指の運び」もまた音と音の間の出来事ですから、その間を見て・きいていく力を養うことを深めて行きます。utena drawingという方法は直接運指には関わりませんが、結果だけを追わない、そのプロセスに視点を置く習慣として、体感に働きかけます。

運指の深み

運指から作曲家や編集者の意図が見える

クラシックのピアノ曲、例えば、ショパンとかドビュッシーなどの作曲家の書いた曲の運指をいろんな楽譜で眺め比べてみるととても興味深いです。作曲家本人が運指を描く場合は稀で、書かれている運指はその楽譜を出版した会社の編纂をした人の解釈があります。そういうことが読み取れるようになると、ちょっとした推理ものを読み解いていく感じ。

自分で運指を考える力

例えば私は身長が150センチと小柄で当然手も小さいですから、おおきい跳躍のところなど書いてある運指でするより一工夫した方が良い時もあります。また、楽曲の解釈が変わってくる時、運指がしぜんかわっていくということもあります。それも受け身ではなく音楽に直接関わっていく喜びにつながっています。

最後に

ということで、「指番号」ではなく「指の運び」への意識転換、ご理解いただけたでしょうか?ぜひチャレンジしてみてください。

utena music fieldでは、オンラインでの個人ワークを受け付けている他、東京でも時々開催しています。

この記事について個人的に体験したいという方、音楽プロセス体験の理論に触れていたい方はそれぞれこちらを覗いてみてください。


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