ル・コルビュジェと「デザインサイエンス」
Le Corbusierの空気
上野にある国立西洋美術館などが、ル・コルビュジエの手による建築が世界遺産に指定された、ということ。
一度行ったことがあって、その時にのこった印象は、ひんやりとでもあたたかな、不思議な空気の感じ。コンクリートという素材の建物なので、無機的になるのでは、と思うのだけれど、建物そのものより、その空間の・・入れ物の中身の空気感が有機的な存在感を持っていたのだろうと思う。
ロンシャン礼拝堂の光の取り入れ方なんかは、どうだろう。
この本を読むまで、コルビュジエといえなくて、コルビジュエと言っておりました(笑)
デザインサイエンス [かたちとちから]
かたちとちから、というのを、私は融合したひとつながりのエネルギーとしてかんじているのだけれども、普通、「かたち」、と「ちから」 は別物
むしろそっちの方向から美術や建築を眺めて来たことがなかった私にとって、「デザインサイエンス」という本は、正直少し堅苦しく感じたことも事実。
ただ、形と力は表出方法としては、別で、表出し結晶となっていったものが様々な芸術作品と言えるのかもしれない。
「かたち」と「ちから」が融合した一つのエネルギーと感じるのは私が音楽の側の人間だからなのかも。
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実際、数式を読み込む頭はなくて、2時間ほどたくさんの図を眺めていただけ、
数式は残念ながら能力的にスルー。
すみません。それでもその迫力は伝わってきた。
ストイックに「デザインの数理」の本ながら、その統括的に伝わってくるものは決して冷たいものではなく、生き生きと(という表現はちょっとそぐわないのかな、なまめかしい、これもちがうか・・)人の能力と世界の深さとのやりとりには、感動も覚える。人は数をもともとどんなふうに眺めてきたのだろうか。
ここで、私はコルビュジェのこの言葉に出会った。
前書きのル・コルビュジェの言葉の引用
花・植物・木・山・・・もしそれらの真に偉大な様子に注意をひかれるとするなら、それは、それら自体で満ち足りていながら、あたり一面とも共鳴しあっているからだ。自然が調和にあふれる中、われわれはふと立ち止まる。あまりにも大きな空間が統一性で占められていることに心を動かされ、目を止める。
そして、見えたものを測るのだ。
デザインサイエンス より、コルビュジェの言葉
この本で取り上げられていたものはどれも興味しんしんだった。
ピタゴラス、フィボナビッチ、ポアンカレ、黄金比、さまざまなタイル貼り、テンセグリティ、ユークリッド幾何、射影幾何・対称性・螺旋・鏡像・正多面体・さらにさらに・・さすがは百科事典
音楽との関係やいかに。
私は眺めながら、最初に書いた、自分との捉え方の違うことに気がついてきてきたのだった。
それがなにか、ともう少し実感に近づけて見ると、
これらさまざまな「かたち」の中に「充満」ということはあっても、「力」を感じない、ということだった。
かたちとちから
其の中にあってコルビュジェは少し違う光を放っていたように思う
コルビュジェのモデュロールの美しさ。
後でネットで建築物を検索してさらにため息。
なんだろう、この美しさは。
そうそう、そういえば最近ハマっているのが Pinterest という画像収集のサイト。
の私のコレクション。
pinterest mika.taninaka 「形と力」
”力”
と私が思っているものには重力や物質としての強度か関わっていて、
かたちが力に変換してくというか、その創造の現場みたいなもののことをちょっと感じたような気がします。
演奏する、というのは、
形を力に変える、そういうことでもあるのだろうか?
コルビュジエの見ていた空間は質感に満ちていたのだろうなと思う。
そのなかにはなにか音楽がなっているようなきもするのだ。
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