2017.07.04 utenaの思考

「ピアノに向かない子」

音楽を本当に自分のものにしてほしいとピアノ教室を長年続けてきたのだけれど、現実を直視すると、両手で動作を同時に行う、ということさえままならず、子供の頃からピアノを習って5年たってもブルグミュラーの練習曲集に行き着かない、という生徒さんは多い。たぶん「子どもに良い音楽教育を」と願う親御さんの予想をはるかに超えて、子どもたちはピアノを弾きこなすには困難な壁に突き当たっている。

前にやっていたブログの検索によくひっかかっていたのが
「ピアノに向かない」という言葉だった。
音楽教室のブログは
「みんな楽しくレッスン」とか「コンクールに向けて頑張っています、」みたいなものが多いから私のようなネガティブなものもさらけだしてしまうものは少なかったのだろう。

検索ワードに残る「ピアノに向かない子」という言葉。
それを目にする度に、胸がチクリと傷んだ。

では、器用にパラパラとピアノを弾ける子、ピアノに向いている(?)子は、心からそれを楽しめているのだろうか?自分の過去のレッスンを振り返った時に、どちらのタイプの生徒さんに対しても、十分なことができてきたかどうか。いずれにしても、たくさんの後悔が残る。

そもそも問題は「弾けるかどうか」なのだろうか。

目標設定として「ピアノがスラスラ弾ける」というのがあってそれに向けて頑張るというのではなくて、子ども、大人にかかわらず、学ぶその人が今、なにを体験しているか、つまり今自分は音楽をやってるんだという実感と、学ぶことによって何かを得ている、と実感するところにあって、それを繰り返すうち、なにがしか音楽的な所作になっていき、自分でそれをフィードバックして味わうことができることができれば、「演奏が自分のものになっていく」実感が推進力になる。実際演奏は変わっていく。

それがわかってきたのは
動線で音楽をやり取りする ’音楽を描く(utena drawing ・・詳しくは音楽の生まれる場所から へ)’という方法をレッスンに取り入れるようになって、子どもたちがなにを体験しているかをじかに触れるように感じることができるようになってからで、今はあまりレッスンそのものはまあ、歳相応にということもあるだろうけれど、こなれてきている。

ただ、まだ現実には、「ピアノに向いてるか向いてないか」という価値基準は依然としてある。「ピアノに向いていない」と結論づけてしまう親御さんを説得するには、世の中の風のほうが遥かに優勢だ。

ピアノに限らず、音楽教室というものが一お稽古事、という枠を超えて
人と音楽を結ぶ大切な社会的役割を持っているのだと思うから、ちいさくても、とにかく声を上げていこうと思うのだ。


おとをみる かたちをきくから転載

・・・・いま改めて読み直して、思ったのは、ピアノを弾くには 音楽の要素+αで身体的な要素があって、その身体的要素によって、学びやすさはかなり違ってくる、ということ。音楽的なものを必要としてるな、と思う生徒はすごくたくさんいるのに、実際ピアノはハードルが高いから、そこをなんとかな、したいなといつも思います。ピアノを使って音楽を教えることは、いいとおもうんですよ、ハーモニーも伴奏も一緒に学ぶことによって、身についてくることがあるから。うちは小学校のあいだ頑張ったあと、中学生になったらコード弾きで楽しむ方法を教えます。楽譜を読むハードルが下がるし、自分に合わせた伴奏ができるから、楽しみながら、いろんな曲に触れることができます。生徒が大人になった時に「音楽」がその子のなかにちゃんと残って育っていてくれたらいいと考えて、そちらの方向でいろいろ頑張ってるわけなんだけど、そうした思いが 保護者とも共有ができたときは、よいレッスンができてく感じがします。

もし、また「ピアノに向かない」で検索するおかあさんや もしかしたら、大人で習いたい人がいたら、きっとどこかに そういうことも大切に考える相性の良い先生はいるから、根気よく探してみてください。街にひとりや二人はいると思う・・先生として身体的に楽でない生徒のほうが地味に根気がいりますから、そういうところを判断基準にするのもいいかもしれません。

繰り返しますが、音楽には向きも不向きもありません。

きっと誰にとっても 必要としてよいものだと私は思います。


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