【バイエル49番】 退屈?ブランコのような心地よさ
バイエルの49番(佐々木ピアノ教則本では85番・原曲の一オクターブ下で表記しています。)のこの3拍子の曲は、4小節1単位 で、その中の前半2小節と後半1小節は観音開きのように対になっています。
その繰り返しの流れをつかむスケッチ。
動線は左から右へ ここには一小節の単位、2小節の単位の両方が含まれています。
3小節目の頭で反転し、4小節目の終わりに、左の輪の中へもどります。
これで4小節の単位のオスティナートになっています。
この曲はどの生徒にもこれを描いてもらっています。
とても心地よくながれるために、この曲を単純でつまらない、とは思えなくなってくるのです。
繰り返すって楽しいことなんですよね。
ブランコはいつまでも乗っていたいじゃないですか。それと同じ。
このスケッチを音を聞きながら無心で描いている生徒の横顔を見ながら、生徒も私もとても良い時間を共有していることに何とも言えない満ち足りた気分になりました。演奏している私のピアノの流れと、その生徒の手元の流れ。その手元を観ていると、音楽を隅々まで楽しんでいる様子を私も味わうことができました。それで、私は生徒に逆に何か大切なものを教えてもらった気がしたのでした。このスケッチワークをする意味、というようなもの・・
以前に書いた記事「ピアノに向かない子」には、音楽をまなぶということはピアノを弾けるようにする、ということだけが目的でなくてもよいのでは?という問題提起をしたのですが、こういった時間の共有ができるということなんかも、人生の中でとても良いものかもしれない。
というのも、音楽っていうのは本来それ自体、何か治癒的なものを持っているものだからです。
生徒の描く様子に合わせていくことで私自身も随分恩恵を受けていると思います。
実際、生徒の演奏は描いてみたことで変わっていくし、演奏自体が楽になっていくのだけれど、それが目的じゃないんじゃないかな、と。私がやりたいのは音楽以外のなんでもなくて、そして音楽ってじゃあいったいなんだ、と。正確にリズムに乗って弾くこと?・・・なにかもっともっとそれだけでないこと。
本当にこのutena drawing という手段は、音楽をさらにさらに、と掘り下げていく道具だなと思います。
正解や上達だけを目的にするんではないのです。