2022.02.13 utenaの思考

「アルシスとテーシス」の歴史的変遷

アルシス Arsisとテーシス(テジス)Thesisという音楽用語があります。
私が最初にこの言葉を知ったのは合唱隊に参加していたころでした。
そのとき、少し調べたらアルシスは「飛躍」テーシスは「休息」という意味だということで、しばらくは疑いもなくそのように私も使ってきました。

ところが、この用語について調べていくと、時代により、人によってその解釈がまちまちだということがわかってきたのです。このアルシスとテーシスという言葉は、音楽プロセス体験というワークにとって体感を伝えるのにちょうど良い言葉としてこれからも使っていきたいので、ここできちんと整理しておきたいと思い、私が調べた範囲のものに過ぎませんが、時代の流れに合わせてまとめておこうと思います。

この言葉、一体どこで生まれ、どんな変遷を辿ってきたのでしょうか?

アルシスとテーシスをざくっと理解

まずは、これから紐解いていくアルシスとテーシスについてざくっと理解しておきましょう。
音楽史を見渡し俯瞰した表現になっていて、よくまとめられたなあと思います。

アルシスとテーシス

古代ギリシャでの弱拍と強拍。バッケイオは、アルシスは歩行で足の上がる時間、テーシスは着地の時間、と説明し、

ローマでは詩の朗読法に適応して前者を声を上げること、テーシスは声を下げる事に転義した。

キロノミーの手の動きはアルシスで揚げテーシスでおろして下拍を示す。結局、両者の関係はある事柄の到来を準備する 緊張と弛緩の関係にあって、それはリズムの本質を表すものと言える。

・・・・小節構造、フレーズ、セクション、楽章、完全な楽曲に至るまで、その意味は拡大され得て、音楽の流れを支配する根源的な原理になっている。

国安愛子 辞典形式音楽概論より17ページ

紀元前ギリシャ時代

プラトン著「国家」におけるアルシスとテーシス

アルシスとテーシスというのはもとは古代ギリシャの言葉でした。
その頃の音楽はどんなふうだったのでしょう?
ギリシャ時代の音楽について、wikipedeaにまとめられていたので、リンクを貼っておきます。
古代ギリシャの音楽

ネットで色々探していると、プラトンの「国家」にそれが載っているということで、岩波文庫の文庫本を購入してみました。でも残念ながら、翻訳の過程でアルシスとテーシスという言葉は抜けているようです。

このあたりのかなり親切で詳しいことが
「プラトン『国家』におけるムゥシケー(三上章)」にありますので興味のある方は探して開いてみてください。

さて、その古代ギリシャでは、
バシス(足運び)において、アルシスは『あげる』テーシスは『下ろす』ということ、
あるいはアルシスを「上昇」テシスを「下降」とも記されている。
アルシスで始まるリズムもあれば、テーシスで始まるものもあるということらしいです。

プラトンの「国家」においては、エトス(大雑把にいうと道徳的習慣とか品性)という観点から、よいリズムとは何か、という口調で語られています。その中で、テシスで始まる音楽は穏やかで、アルシスで始まるものは騒々しい、(三上章 プラトンの国家におけるムゥシケーによる)と。

クルト・ザックスが捉えたギリシャの「アルシスとテーシス」

クルト・ザックスは1881年生まれの音楽学者。よく参考文献で目にする名前ですね。

すべての韻律的韻脚は2つの部分を持ち、その一つは強音部で、他の1つが弱音部である。・・・
ギリシャ人は、この強音部をテシスthesis、あるいは basis(下向き)、あるいは単にkato「下」と呼んだ。なぜなら、コロス(合唱)指揮者がこの強音部を足を踏みならして示したからである。逆に、足を挙げた時と付合した弱音部は、アルシスarsis「挙げる」あるいは単にアノ「上」と呼ばれた。ちなみに、初期ローマ人は、ポシティオpositio(置くこと)とスプラティオ(持ち上げる)と呼んだ。
イアンボス(短ー長)やトロカイオス(長ー短)やアナパイトス(短ー短ー長)のような韻律では、受け入れ得る韻律を形成するために、独立にではなく、ペアーとしてのみ許された。このような韻律でテシスやアルシスの機能は、1つの韻脚の2つの部分にではなく、2つの韻脚に与えられた。例えば、イアンボス(短ー長、短ー長)では始めの2つの音節がアルシスで、後の2つがテシスである。

クルト・ザックス リズムとテンポ

この本では、強音部がテシス、弱音部をアルシス、と書いていますね。

さらにクルト・ザックスは続けます。

残念ながら、古代後期、キリスト元紀後になってこのふたつの言葉を理解しようとせず、その意味を見誤ってしまった。詩、音楽、身ぶり、舞踏のステップの不可分な一致を軽視したローマ人は、ほとんどそのアクセントを足を踏みならして示そうとしなかった。弁論家、ファビウス・クィンティリアヌスは、確かに拍を示すために、足をふみならすことについて語っていた。しかし、その100年間、すでにホラティウスは、その第4のオードの中で、娘と若者に、指をならしてレスボスの新率に従うことを進めている。
意味がなくなったが、まだ用いられていたテシスとアルシスの元の用語法は、全く自然的な発展によって、ふみならす足から、歌うこと、あるいは朗唱する声に移ってしまった。これによって、含蓄ある意味は全く逆になってしまったのである。・・・・・
用語の転倒の過程は、後に、5世紀のアフリカの博学者マルティヌス・カペッラが、アルシスは足ではなく声を揚げることであり、従ってテシスは下げることである、と定義した時に完成された。・・・中世とそれ以降、そればかりでなく20世紀にいたるまでの文法学者は、古典後期の誤用に従っていた。

クルト・ザックス リズムとテンポ


ローマ時代、ギリシャ時代の体感は失われ、アルシスとテシス(クルト・ザックスはテシス・アルシスと表記しています。)は、誤用されていった、と書いています。

引用に出てくる、「5世紀のアフリカの博学者マルティヌス・カペッラ」はアステス・リベラーリス、「自由七科」の創始者の一人でした。自由七科は「リベラルアーツ」の語源です。中世当時、人間形成を育む基礎学問として、修道院などで学ばれました。その7つの学科の中に音楽理論は不可欠なものとして扱われていたのです。修道院をでた若者たちは、世俗的な世界に戻っていった者も少なくなく、権力に縛られず自由を求めて放浪の旅をしたりしました。(中世音楽の精神史 金澤正剛)そうやって彼らが学んだものはヨーロッパに広げられていったのだろうと思います。

グィード・ダレッゾは音高の上がり下がりとしてつかった

それぞれ違う教会でうたわれる歌を一緒に歌う時に揃えるために、音階の理論と楽譜が生まれたその始まりの人としてグイード・ダレッゾがいます。彼は、アルシスとテーシスをリズム界隈の言葉としてではなく、音程が上がる時をアルシス、下がる時をテーシスというふうに使っていたようです。

音の進行(モトゥス)は、前述のように6つの音程(モドゥス)によって作られているのだが、アルシスとテシス、つまり上行と下行からなっている。これら二種類の進行、アルシスとテシスによって、「同じ音の」反復と単独の音を除くすべての旋律句(ネウマ)が形成される。そして、アルシスとテシスは、アルシスとアルシス、テシスとテシスというように、同じもの同士で連結されることもあれば、アルシスがでシスに、テシスがアルシスにというように、一方が他方に連結されることもある。そして、その連結自体も、時には類似しているものから、また時には、類似していないものから作られている。


注52ここでの「アルシス」と「テシス」は、単純に音の進行が高い音へと向かう上行かあるいは低い音へとむかう下行科を示す。ローマ聖歌における近代のソーレム唱法ではアルシスが「飛躍elam」、テシスが休息repos,と定義され、その組み合わせによって動的な律動が作り出されるが、ここではそうした意味合いは含まれていない。アルシスとテシスは文法用語を利用したものと考えられ、当時文法の教科書として広く行き渡っていたプリスキアヌス(500年ごろ活躍)の「文法学教程」においても、アクセントの項でこれらの語についての説明がある。それによれば、”natura”(自然)の語を発する際に、”natu-“の部分は声が上がるアルシス、続く”-ra”は声が下がるテシスとなるとされている。

グイド・ダレッヅォ「ミクロロゴス」

ここまで色々拾ってみて思ったのは、アルシスとテーシスという言葉、厳密に音楽用語として定義されたものではなく、生活の中の言葉として使われていたものを、その時々で伝えたいことにあわせてつかっていたんじゃないかな、ということ。それぞれに国の言葉やリズムに合わせながら。憶測ですが。

ソレム唱法におけるアルシスとテーシス

アルシスとテーシスという言葉が深い意味を持ったのは、おそらく、グレゴリオ聖歌のソレム唱法が生まれたあたりではないかと推測しています。私が興味を持ったのもこのソレム唱法、なぜなら、ここで使われている指揮法の表記方法、「キロノミー」は、utena drawing と重なるものがるからです。何と言っても、音楽の線描という共通点があります。

水嶋良雄著「グレゴリオ聖歌」より引用

キロノミーについて詳しく書かれていたのが水嶋良雄著「グレゴリオ聖歌」
長い引用になりますが、アルシスとテーシスについての文章はさらに長く、大きな意味を持っていたことを物語っています。
ギリシャ時代の上げ下ろし、というのも引用しながら、さらに、アルシスとテーシスは生命の統一原理である、と書いています。

第4節 秩序
音楽的動きを動律づけるものは何か?」
それは、長・短・強・弱といった音響的素材ではない。それらの成因となっているところの生命的な統一原理「緊張と弛緩」「飛躍と休息」「アルシスとテジス」の関係である。

【相互関係の諸相】
・・・・歩行のリズムは足の《上げ》と《おろし》の相互依存によってなりたっており、心臓の鼓動という動きは《収縮》と《拡張》によって秩序づけられている。呼吸を秩序立てるものは《呼気》と《吸気》である。欲望(のぞみ)における《希求》と《享受》を我々はよくしっている。


【2関係の特質】
われわれの生命的動きの秩序は、すべてかくのごとき2つの関係によっている。この2つの関係において、

■前者は、何らかの動きの発端をなすものである 我々はある激しい要求によって、1つの目標へと向かって動きを起こす。我々のめは輝き、呼吸は早くなり、心臓の鼓動は高まり、歩容は急迫する。

■後者は、その動きの到達である、 目的の達成による満足感は、我々の表情を和らげ、呼吸は落ち着き、歩容はあんていして、ときとしては、平安状態に戻るべく、完全な静止へと向かう


【秩序に関する結論】

動的素材を1つの芸術形相へと統合せしめるものは、最終的分析において、動きの秩序そのものであるところの2つの関係へと還元される。この関係こそ文章における、品詞の従属関係、あるいは音楽における長短・強弱・高低の緊密な関係の成因となっているところの、生命的な統一原理である。それは、「飛躍と休息」「緊張と弛緩」「希求と享受あるいは「発問と応答」のかんけいともいえるが、それらの究極的・根源的関係をグレゴリアニストは総称してArsis Thesisとよんでいる。 p111

第5節
音楽的動律(音楽のリズム)とは、音の長短・強弱・高低といった外的の問題にとどまるだけのものではない。それあらの動的・時間的形相が、我々の内心との交流による共鳴、われわれの体験となって内的かつ必然的な動きとして秩序だてられたもの、これがりずむである。長短・強弱等が我々の心的体験を通して、創作者の心の動きと同一の根本感情・生命的躍動たる、飛躍と休息・緊張と弛緩・アルシスとテジスによって、調和と均衡ある統一体となる努力、これがリズムである。音楽てき「動律」とは、このような意味におけるところの、音楽をとおしてなされる「動き」の「秩序」である。p112

第6節  動律的構造

水嶋良雄「グレゴリオ聖歌」から

私自身、アルシスとテーシスという言葉を知ったのは合唱隊に入っていた時でしたから、現代の日本でアルシスとテーシス、といえば、ここで述べられているようなイメージが一般的なのかもしれませんし、私自身もここに魅力を感じます。

ただ、クルト・ザックスは 「テーシスが強拍、アルシスが弱拍」と書いてあるのに対して、この本では逆なのです。アルシスが強拍、テーシスが弱拍、ただし、テーシスでも強拍となり得るような場合もある、と書いてあり、どちらが強拍になるか、という点で逆転しています。

さて、ここで、どっちが正しいかということを言ってもあまり意味はありません。そもそも、対象となっている音楽が違いますし。
私が面白いと思うのは、音楽を体験するのに上る、下がる、落とす、飛翔する、といった、空間的で、動的なイメージが、形をかえながら、でも、古代ギリシャ時代から後世の時代までずっとあった、ということなのです。その方向性とエネルギーの表現として、ときに軽く、時に深く、アルシスとテーシスという言葉が使われてきた、ということなのです。
ソレム唱法は、その後楽譜の解釈への批判もおおかったようですが、この本の示すところは現代の私からみても納得するものが多いのです。音、音楽に対する解像度が高いと感じます。

リュシーのアルシスとテーシス

リトミックの発案者、ダルクローズが指針としたというマティス・リュシー。
「音楽のリズム」の本の中に何度かアルシスとテーシスという言葉が出てきます。

「呼吸」は2つの重要な意味を持つ。呼吸は拍子のみならずリズムを内包するものである。生理学的に見た呼吸は吸気と呼気の2つのプロセスに分けられる。吸気は行動の一種であり、呼気は休止である。呼気は小節の強拍、下拍(テーシス)、またはアクセントのついて音節を意味し、吸気は弱拍、上拍(アルシス)、またはアクセントのない音節に対応する。

マティス・リュシー「音楽のリズム」

(・・ここから呼吸と2拍子3拍子の説明がある。)
一般的に言ってリズムには2つのイクタス(最初と最後)がある。これらはリズムの柱を形成する強い音である。そしてこれらはテーシス(強拍)、つまり小節の最初の白、または下拍におこるべきである。
本書で使用されている用語の解説アルシス(arsis)拍節的な用語。上拍または、弱拍。テーシスの反対。テーシス(thesis)拍節的な用語。強拍。各小節の第1拍、下拍にあたる。

マティス・リュシー「音楽のリズム」

アルシスが弱拍、テーシスが強拍となっているところ、クルト・ザックスの論に戻ったようです。が、使われている場所が小節と小節を跨ぐ形、いわゆる、アップビート ダウンビート、で現代のポップスなんかでよく説明されるあの上下と同じです。というか、ここが発祥の地だったのでしょうか?

ギリシャ時代には、拍・拍節というものはありませんでした。
プラトンの「国家」のなかでは、リズムや音の高低が言葉より上位にきてはいけない、と書いてあり、言葉にリズムが寄り添っていることをよしとしていたことがわかります。そして拍はまた由来も時代も違うところからやってきたものなのです。だから、ここは音楽の差している場所が全くべつのものなので、クルト・ザックス論ともまた違うもののようです。

まとめ


ということで、音楽室の本棚と図書館で借りてきたもの、という限られた範囲の中なので、まだまだ十分とは言えないとはいえ、なんとなくアルシスとテーシスについて、わかりました。いえ、時代により、伝える人によってこんなに違うことがわかった、というべきか。

ただ、共通していることもあります。

それはアルシスが上方向へのエネルギーを差し、テーシス(テシス)が下方向への流れをさしている、ということ。

そこには、時代や言葉による違い、また音楽で差している場所への違いはあれ、音楽をイメージするのに「上下」するという言葉としてアルシスとテーシスが使われてきた、これは時代を超えて共通の体感があった、ということだと思います。

utena music field には二項対立で物事を捉えない、という家訓?があります。
無駄なものは何もなかった。

実際に音楽はその時代時代に生きていたわけだし、そこに関わってきた人たちの体感が理論を作り上げてきてもいるわけです。

そして、私もこれからもアルシスとテーシスという言葉を使っていこうと思うのですが、それは、過去のものも含み込みながら、でも、現代に生きる私たちなので、新しい概念と体感になっていくような気がします。

アルシスとテーシスについては、音楽プロセス体験(utena music field の理論)の立場からもうひと記事書いていきたいと思っています。というか、その記事を書くために、前提となるこの記事を書いておきたかったのです。少し前に音楽プロセス体験を総括するような体感があり、演奏も体の使い方も聞き方に即応できるようになってきた、そこに関わってきたのがこのアルシスとテーシスという概念だと思ったのですね。もう少し先になるかと思いますが、時々このhp覗いてみてください。

ちなみにトップ画像はutena drawing と言います。

utena drawing

キロノミーに似ていますが、音楽と体感を結ぶ手立てとして、動線をつかうutena music field のワークです。

参考図書

*リンクが貼ってあるものは紀伊國屋オンライン書店に飛びます。

国安愛子 「事典形式音楽概論」(音楽の友社 絶版)
クルト・ザックス 「リズムとテンポ」(絶版)

プラトン 国家(上)岩波文庫

金澤正剛  中世音楽の精神史 河出文庫

三上章 プラトン「国家」におけるムゥシケー 

グィード・ダレッツォ「ミクロロゴス」 春秋社

水嶋良雄 「グレゴリオ聖歌」音楽の友社(絶版)

グラウト/パリスカ 「新 西洋音楽史」上 音楽の友社

マティス・リュシー「音楽のリズム」要約版 中央アート出版