2018.07.24 開催日誌

東京講座7月の日誌

東京へ発つ前日には、小学校でのワークショップ。
1年から6年生までと大人という幅広い層の間で音楽を共有したなっておもえるように、しっかりと実感に結んでいけるものを提供したい・・
となると、やることはできるだけシンプルにそして
“何を”、という以上に、
“どうやって”それを伝えるか、とか、その場のイレギュラーな出来事に応えていくか、
そんなことをずっと考えていた。
そして、実地での手応えと反省点。
その熱を胸に抱えたまま、次の朝を迎え、飛行場へ・・。

音楽を描く・東京講座でのスケッチ

「音楽を描く講座」は、新しい参加者はなく、いつものメンバーとなり、プログラムに沿って楽曲の流れを楽しく、といういつもの方法を手放して、音高にじっくりと取り組んだ。いつも繰り返す基礎だけれどもいつも同じ体験をしているのではなくて、そこに情報を落とし込んでいける余白が生まれてくる。単なる音の上がり下がりから、メロディへの移行のとき、体験的には、どんな事が起こっているんだろうか? これ研究コースのテーマやん、とおもうけれども、体験が深まっていけば自然内容の掘り下げも深まってく。自然な成り行きかも。初心を忘れそうだ、ゆるく入って楽しい方法、本来この講座はそんな音楽を描くの入り口です。ちゃんとインフォメーションしなきゃ。写真をみると、こんなになめらかにかけないとだめなのか、と気後れされるかもしれないけれど、そんな事はありません!それに、そのうちなれてしまうものです。

「実感して進む楽典」はいつものリズム作りと、拍・拍子・リズムの3層を一時にみんなで体験する手拍子。メンバーがかわれば、同じことやっているようでも、そのノリがかわる。この微細な違いがたまらなく楽しい。うまく叩けるかとか気になるだろうなあと思うけれども、常連さんたちはすでに恥を捨てています(笑)。お互い聞きあう練習を積んでいけば、そこから身体が学んでいってくれます。私はできないことを素通りしないで、きちんと受け止めることが仕事。突っ込める信頼関係ってのがあるね、そうありたいと思うけれども、自分もまだまだ未熟。一緒に育ててやってください、みたいな。そんな空気感でやってる。あと、短音階のレクチャー。わかったかな?時間が押してちょっとはしょり気味、これも繰り返しやっていきましょう。

発展Pは佳境、まさに。


深まっていくとともに、問いも切実になる。
問いをもつことで、立ち止まってしまう、けど、私は立ち止まってしまうことの中にすごく大事なことがあるんだと思う。その人が本当にそこにいること。立ち止まらないで、盲信していくほうが怖い。すらすらと描けてしまうと、そこに何もとどまらない。描けてしまう人はその人の苦しみだってある。音楽ってなんだ?個性ってなんだ?そんな問いはいくらだって、世間にころがっているけれど、現実としてその入り口が目の前にひらいているのとそれとの違い。だから、私はグループレッスンを必須とした。ダイヤログを発展プログラムに欠かせないものとした。違いを知るってどういうことなんだろう。あるワークをしていたときに、ある方がスーッと描けると楽しくて、音楽だなと思う、じわっと描くと音楽じゃないと感じてしまう、というと別の方が、自分にはそのジワって言う方が音楽。速いとそれを感じない。と。こういう話が出てきてこその発展プログラム。同じ音を聞いていてもそのくらい人の体験は違う。それはいい悪いじゃなくて。だから、速い人には遅く描いてもらい、遅い人には速く描いてもらう。いつ、出会えるだろう。これは意識の問題ではなくて、もっとシンプルに経験の数にすぎない。だって、こんな経験、実際私もここでしかできないのではないか、と思う。互いに体験の幅を広げたり深めたりしていくうちに、必ず体験は深められる。そしてそれが、自分のツールにもなっていく。
感覚や体験は変化していく。意識も変化していく。
それは、この講座をはじめて5年、受講者の皆さんから教えてもらった。

私も問いのいまだ解けない只中にある。大事なのは結論ではない、そこで何かを身にしみて知ることだ。どこまでも完成することのない、このワーク、もしかしたら、誰かの問いが新しい扉を開くことになるかもしれない。これまでもそうやって深めてきたように。
わからないことに蓋をしてわかったことのように振る舞ってしまうと見えてこないもの、
そこに染み出してくる迷いや疑いや、自己肥大や、自己否定、そんなものは寄り道に過ぎないとしても、だからこそ生きてる。そうやって自分の音楽を見つけて行けれればいいなあと思う。そしてそんな者たちの中には手放してわかるものと同時に決して手放してはいけないものもあるのだと思う。それを互いにほりさげていく。にっこりわらって真剣勝負。

音楽は音と音の間にある。言ってしまえば簡単だ。
でも、そこにどんな具体的な体験を導くのかというと、それは決して一言で片付けられるものではない。
それを一つ一つ体験してみる。
私が参加者さんから教えられることもある。
いままでにない音楽に触れさせてもらえるって、すごい体験。
出会いっていうのは一回一回オンリーワン、だ。それを忘れてはいけないと思う。
では、私は、何を人に伝えられるんだろう?何を受け取ってもらえるだろう?

懇親会のときに、継続受講されている方が、こんな感じのことをおっしゃっていた。
「この講座の効果がいつとか、はっきりと分かるわけではなくて、いつの間にか、自分が変わっている。」と。
よく言われるのが、そのときはよくわからないけれど、じわっとあとからくる、とか。
壁ってなんだろうね。乗り越えようと意識すればするほどに高くなる。だけど自分を知らないで先へもいけない。
問いの立て方にもいろいろあって、最初から結論のある問いというのは、結局自分をおいていってしまうかもしれない。壁というのもそれに似ていて。音楽を描く、というワークは、問いの答えを導くのではなくて、問いを解いていくための自分の道具を磨いていく方法。問いは結局その人が立てて、その人が解いていくことが推進力になるので、そこはその人に委ねるしかない。

個人レッスンでは、一つの結実、と感じられるできごとがあった。これはいつかまとめて書きたい。

東京に行く前に出会った、小さな小学校の生徒たちは、そこに立った姿がそのままのその人のゼロ地点だった。きれいに揃う必要なんか全然ないですから、大事にしたいのは何を体験したかってことなんです。という私の説明を理解していただいた先生や保護者の皆さんの温かい眼差しのなかで、なにかを共有した、その感触。大人はもっと、少し違う出会い方をするのかもしれない。
音楽ってなに?と発展Pの皆さんに訪ねたけれど、本当はそんなものは愚問。けれど、問い続ける。対話する。揺さぶりをかける、眠っていてはみつからないもの。考える、生きる、音楽する。