私は、ご縁があって発展プログラム第一期(2015年)に参加しました。現在、生徒さんのほとんどが70歳以上の、田舎の小さなピアノ教室で、個人レッスンのなかで必要に応じて「音楽を描く」を少しずつ取り入れています。生徒さんもクレヨンを持つ時間を楽しみにしてくれるようになってきました。

いま「音楽を描く」に興味を持って、講座に参加してみようかどうしようかと迷っているかたに、何かひとつでも参考になることがあればと思い、振り返ってみました。

(時系列で書いていますが青字で現在の心境も織り混ぜています。)

とても長くなりますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。

なお、文中の講座名などは当時の名称で、現在の名称やシステムとは異なるものもあります。ご了承ください。

楽器店の音楽教室で

「箸にも棒にもかからない」

これはもう20年ほど前、自宅と掛け持ちで楽器店の仕事をしていた頃、先輩講師が受け持ちのある生徒を話題にして言ったひとことでした。

おそらく思うようにレッスンが進まない、伝わらない、理解されない、そんな状態を嘆いたのだ、と思います。

そこからきっと、では次はこうしてみよう、と考えていったに違いない(そう思いたい)のですが、まだ若かった私は、このような言葉が、本人に直接ではないにしろ、音楽を扱う現場で使われたこと自体が衝撃的すぎて、とても苦しい気持ちになりました。

ピアノに向いている向いていない、というのも当時良く耳にしました。先生と呼ばれる立場に長くいると、こういう物言いに違和感を持ちにくくなるのだろうか?そんな人ばかりではないだろうけど。いや、ひとごとではないな、教えるという立場にあるかぎり、自分にもそういう危険があるということを肝に命じよう。

あの場に居合わせて感じた息苦しさと痛みは、ある意味私の出発点になっています。

その後、家庭の事情で自宅だけの仕事となり、細々と、でもこつこつと、わかりやすく優しくていねいに、「生活の中に音楽を」と願ってレッスンをしてきました。ありがたいことに、こどもと大人半々くらいの、息の長い教室になっていきました。

人によって器用さなどの違いはどうしてもありますが、その人その人なりにある程度弾けるようになっていく姿を見るのは、とても嬉しいことでした。

その一方で、個々の身体の特性(せっかち、のんびり、ちからが入る、線が弱い、軽い、リズムに乗れない、両手になると混乱する、などなど)によって、どうしてもぶつかる壁というものがありました。一緒に乗り越えようといろいろ工夫をするのですが、なかなか難しい場合もあって、過去にはおそらく、「音楽は苦手だ」「楽しめない」と感じたり、好きなのに「これ以上は無理かな」と自ら諦めて教室を離れていったかたも少なからずいるのでは、と思っています。反省をこめて。

谷中さんのホームページとの出会い

月日は流れ、2014年春、生徒数がじわりじわりと減少傾向で、ああ、力不足だ、どうしたものだろうか…。

いまからでもできることは何か、柔軟に勉強する機会を求めて、指導者の会とか、セミナー、ピアノの先生のブログなど、いろいろ探してみましたが、敷居が高く感じられたり、あまりに熱血な所は性分が合わなかったり、いまひとつピンときません。

どうしよう。

経済のこと、自分の力のなさ、思考が不安の海に漂流しがちな日々を過ごしていたある日、

「立ちゆかなくなくなるのも時間の問題かも。ああ、零細個人ピアノ教室だ。」

と、心に浮かんだそのまま、

「零細個人ピアノ教室」とパソコンに打ち込んでなぜかヒットしたのが、谷中さんの当時のホームページ

「おとから音楽へ」

でした。

心を動かしたもの

その中に、旧サイト「台(うてな)音楽レッスン研究室」の前書きを記したページがあり、

(以下、【】内は引用)

【ここ、台音楽レッスン研究室は、子どもの才能を伸ばす教育も、個性を伸ばす教育も目指しません。】

とありました。そして、

【才能も、個性も、個人の主体性に関わるものなので、たとえピアノ講師でも触れることができない、大切なものとして扱いたいからです。】

と続きます。

ゆっくり音読したくなるような、その静かな言い方のなかに、なにか心の芯を温められるようなものを感じました。人ひとりの尊厳の捉え方。

教えるという仕事の罪深い面についての、長年の問いに光が射したような気がしたのです。

そんな直感から、この場所に頻繁に足を運ぶようになりました。

サイトのそこ此処に、理念に裏打ちされた実践、研究が積み上げられていました。そして、常に問いが生まれていて、どこまでも現在進行形。

「才能や個性を伸ばします、生徒はこんなにきらきら輝いています、」といったよくある音楽教室のホームページ(それが悪いわけではありません)とは質の異なるものでした。

音楽教室のありかたを常に模索しながらご自分の進むべき方向に少しずつ舵を切り、変化を続けている。

うんと小さなこどもやお母さんへ、素朴な音楽から手渡す「おとあそび」というレッスン、のちに初めて出会うピアノ教材も手作りされていて、それらの解説ページを読むたびに、こんなふうに音楽に出会えたなら素敵だな、と思いました。

そして、音楽をクレヨンの動線でやりとりする、utena drawing 当時は うてな音楽スケッチ とよばれていた手法にも出会いました。それはいままでに見たことのない、音楽の流れや味わいを伝え合っている、描いたひとの脈打つ音が聞こえてくるような美しさを感じました。

【目標は才能ある子を育てるのでも、才能を伸ばすのでもありません。普通の人の日常の中に音楽教育の持っている可能性、その深さ、広さを提供することが目標です。

これまでよりずっと音楽が自分に親しい存在になっていく。

それを実直に、地道に、具体的に

表出を試みているのが、

このサイトであり、その表現が、テキストや台スケッチなのです。】

【何より大切なのは、本人の実感なのです。本人の手の届かない立派な演奏を求められても本人はついていけないだろうし、また、いくらピアノがするすると器用に弾くことができても、実感の持てない演奏は何より本人が面白くなく、無駄な時間を費やしているような気持ちになってしまうでしょう。或いは、本人は悦に入っている演奏でも、聴いている側に立ったとき何も伝わらない。ということもあるでしょう。その人ひとりひとりの実感と手応えだけがその人を支え、更に深く温かい体験へと駆り立てるものを育んでいくのだと思います。そしてその実感だけが聞き手に伝わるものだとも思うのです。ですから、常に今生徒さんが体験しているものを講師も共に体験し、生徒さんの射程内に次の目標を定めることで生き生きとした時間を持てることを大切にします。】

うてなの生徒さんたちは、なにより体と心の声をしっかりと受け止めてもらえるから安心で楽しそう。通える場所だったら私も生徒になりたいくらい。

でも、ああ、愛媛かあ……無理だ~。

そんな思いで、眺めておりました。

そのうちに谷中さんのほうでも大きな動きがあって、その年の秋に東京でワークショップが開かれ、その流れで翌2015年の1月から4月まで6回シリーズのワークショップ開催のお知らせがありました。どうしよう、悶々として過ぎ、ついに決心してお電話をし、途中の第4回目だけ、なんとか都合をつけて地方の田舎から出掛けて行きました。

はじめてのワークショップで

ときどきホームページを眺め、いつでもどこでも見返せるようにプリントアウトしていたくらいですから、1回だけでも生の勉強ができるのだと思うと、嬉しくてたまりません。

そこに集まったのはピアノの先生だけではなく、いろんな立場のかたがいました。とても新鮮な空気です。前回までのおさらい的なウォーミングアップと、スケッチが何を描いているのか、理論と指導のポイントの講義でした。

いつも画面や紙のなかにあったものが立ち上がって立体的に動いている感じが、まだどこか不思議でした。同時に、自分が思いきって動き出せてここに座っていることが、本当に嬉しかったです。

印象に残る記憶がひとつあります。

谷中さんが一音鳴らしたピアノの減衰していく音を聞きながら丸をぐるぐる描いていくワークで、音が聞こえなくなって画用紙から手を離したとき、まだ聞こえているらしい何人かの紙を走る鉛筆の音に驚きました。そして早く聞こえなくなった自分に少し悲しい気持ちになったこと。

谷中さんは、「この差は優劣ではないし、ワークの目的は別のところ、音に対する「的」を見つけて、鉛筆から音が出てくるようなイメージで、聴覚と描く所作がゆるやかにつながることにある」と語りかけてくれます。

私も日ごろ生徒には「その人の感じかた表しかたはその人のもの。ひとと比べないでね」と言っていたのですが、自分のこととなると…。ふと自分の中にわいた悲しいという気持ち。そうかそうか、と受け止めました。

同じ日に個人レッスンもお願いしてあり、日頃のレッスンでの困りごとや、サイトの記事の中でもっと詳しく知りたいことなど、山のように携えていったので、そこで質問攻めに。もちろん時間のなかでいくつかの質問に快く応えていただきました。

いま思うと、めったにないチャンスを逃すものかという当時の切羽詰まった気持ちも無理はなかったかな、と苦笑いです。

誰かに使うことの前にまず自分が

そんなスタートでしたが、数年経ったいま、この「音楽を描く」ワークは、誰かに使うことの前に、まず自分が純粋に体験してみる、ということが本当に「鍵」だなあと、つくづく思います。自分でなにか体験した直後しばらく味わい尽くすことをせずに、つい同時に「あ、これはあれに使えるな」などと仕事と関連づけてしまう癖は今でもまだ抜けなくて困りもの。

この問題は本当に根が深くて、
「この音楽スケッチというツールを使いこなせるようになって、レッスンに生かしたい、生徒のぶつかるどのような壁も越えられるようにしてあげたい」という必死さは、一見熱意のようだけれど、本当はちょっと方向性が違うかなと思います。

もうひとりの私によく言い聞かせています。一にも二にもまず自分、という気持ちを中心にしっかり据えておきましょう。しばし生徒のことなど忘れてしまうくらい自分のなかの感覚に浸りましょう。と。

自分の体験を大切にできて初めて、ひとの体験も大切にできる。

このワークをだれかに使うとき、否定したり矯正しようとしたり、決まった形に無理やりもっていこうとしたりすると、相手の体験に対して無意識に上から横から圧をかけてしまいます。そういった余分なバイアスのないところでこそ、「音楽を描く」のもつ良い働きとその人との間に親和が起こるのは間違いないのではと感じています。

このことに本当に気付いていくのは、のちの発展プログラムに参加したときでした。

そのあたり、なにかの指導者ではない立場のかたの場合は、初めからワークがストレートに自分の実になっていくのかなと想像します。

ともあれ、このときは久しぶりの勉強の機会に感謝と大満足をして帰路につきました。

発展プログラム

2015年6月から、いよいよ東京で発展プログラムが始まるということで、覚悟を決めました。

いま思うと、よくぞあのとき思いきって飛び込んだものだ、あのときの自分ありがとう、です。

ちょうど地域の役員が回ってきていたり、体力も経済の余裕もまったくなかったけれど、この道を行ってみたいという確かな内からの要求がありました。50代半ば、今しかない、という気もしました。家族の理解と協力、応援が本当にありがたかったです。

6・8・9・11・12月と、5回連続で、個人レッスン(5回)とグループワーク(4回)、対話(1回)という、当時のメニューでした。早朝の高速バスに乗り、東京通いが始まりました。

グループワーク、対話で学んだこと

私は子どもの頃からひとりでなにかをしていることのほうが好きでした。このあいだのような単発ならともかく、何回ものグループワークは大丈夫かな、ちょっと心配もあったのです。でもそれもすぐに杞憂にすぎないとわかりました。谷中さんもほかのメンバーも私も、それぞれ本当に気質は違うのに、この学びに向かう真剣さという点で同じだった、というのがあると思いますが、私は気後れも気負いもせずに、いつもありのままの自分でそこにいることができました。

テキストにそって理論を勉強しているときも、私にとっては未だにすごく難しく感じる学問的な言葉や、1回読んだだけでは分かりにくい文章もたくさんあったのですが、知らないことを知らない、わからなければわからないと言える「場の空気」がいつもありました。

ここで、前の段での引用にあるような前提、理念の部分を、いろいろな角度からみっちり学びました。これは、この先もこの仕事を続けていく私にとって財産になったといっても大げさではないと思います。

実技のワークでは、点ひとつ打つにも丸ひとつ描くにも、ひとりひとり身体や気質が違うので、勢い、線の濃淡ぐあいなどみんな違いますし、同じ曲を聞いているのに全く違う形を描いていることもあります。どの人が描いたものもその人の体験として大切に扱われます。谷中さんは、そうじゃない、こうでしょ、とはけして言わない。自分の体験しているものを大切に扱ってもらえる心地よさ。その上で、次に掛けられるひとことふたことで、自分からさらにやってみる気持ちがわいてきます。

また、他のひとの描いたものを見せてもらうことも本当に勉強になりました。その人と同じように試しに描いてみて、なるほど~このほうがしっくりくる、と新たな体験をさせてもらったり、逆に違和感を覚えてその違和感と向き合ってみたり。グループワークの良さというものをたくさん経験しました。谷中さんはもちろん、ご一緒させていただいた参加者さんには本当に感謝しています。

個人レッスンで

谷中さんと選曲の相談をしながら、ショパンのワルツ集の中から8番 変イ長調を選びました。昔からどうもショパンワルツが好きになれなくて、なにか糸口がみつからないかなと思ったからです。1~16小節のメロディを取り出して、谷中さんが試しにこんな感じで始めてみたらどう?と提示してくれた動線をたたき台に、歌いながらああでもない、こうでもないと、自分の感覚を大事にしながら何回も繰り返し描いていきました。このときは本当に自分と向き合いました。私の身体はどうもゆったり型寄りで、軽やかなテンポでとび回るような曲が掴みにくい、というのもあります。

いろいろ試してみていますね。

このとき、決定版、などと書いてありますが、いま描いたら少しまた違ったものになるかもしれません。

とことん描いたあとにちょっと弾いてみます。すぐさま演奏が素晴らしく変わるわけではないですが、フレーズのまとまりや流れがはっきりしてきて少し取り組みやすくなりました。

苦手なショパンのワルツが

初めてワルツ集の楽譜を渡された中学生のときから、ショパンワルツ(特に長調の曲)=派手で気取っていて繰り返しばっかりで意味わからん、ぜんぜん好きになれん、と家では短調の曲ばかり弾いていました。(笑)   気質的に合わなかったのでしょうか。

それが今回描いた部分は、愛着、とまではいきませんが、ちょっと知り合い、くらいの感じになってきました。偶然?歳をとってまるくなったから?季節がめぐって根雪が解けるようなものかしら?何故かはわかりません。手をかけすぎて逆にいやになることだってあったかもしれないのに。わかりませんが、もしかして描くことが春風のような役割をしたと考えたら面白いですね。それか、描いたことで自分の内側の地温が上がってきたか。その両方か。

中途のところで時間切れ、そのままになってしまいましたが、焦って詰め込まずに自分のペースでできたのがかえって良かったです。

続きは機会をみて必ず自力でアプローチしたいと思っています。

入門講座と、実感して進む楽典 (現 音楽リテラシー)

無我夢中で取り組んだ発展プログラムが終わり、つぎの1年は、ついつい後回しになっていた家事の山、身体のメンテナンス、仕事をていねいにすることに努めました。

あえて張り切って「音楽を描く」をレッスンに使うでもなく、どうしても必要を感じたときにピンポイントで試すくらいでした。

そうこうしているうちに、不思議なもので思ってもいない仕事の依頼が舞い込みます。この話は以前に体験談を書きましたので、よかったらご覧ください。

そしてまた年が明けて2017年は、1月、3月、5月と、入門講座、楽典講座にセットで参加しました。どちらもグループワークです。

動機は、ふたつありました。

ひとつは、たまに自分が生徒の立場になってみる時間を作らないといけないと思っていること。ネットや資料からももちろん継続して学べます。でも、生きている人間が相手の仕事ですから、冒頭に書いたような思い違いをしないためにも、立場をかえて臨むことは大事です。

また、ワークで味わった生きた感覚は、時間の経過と共に薄らいでいく部分もあり、変な自己流になってしまって気付かずにいてももったいないと思うからです。そして、やはりそこにいるひとの息づかいや表情や、描いたものがダイレクトに通じあうその場の空気感というものは、頭でばっかりものを考えるのを防ぎます。

もうひとつは。

私は小2でピアノを習い始めたときから楽譜を読むのがおもしろくてしかたなく、あまり苦労した覚えがありません。目で見た音符たちが自然に頭のなかで音楽を鳴らします。楽譜を書くことも大好きでした。そのため、音楽の読み書きが苦手なひとのリアルな実感というものが本当のところでわかりません。

教室に増えてきたシニア世代の多くが抱えている、楽譜が苦手、という意識にどう向き合ったらよいのか。ひとつひとつの音の高さや音符の長さなど、基本的なことはわかっていても、音が連なれば連なるほどリズムがつっかかったり、両手になればもっとギクシャクしてしまいます。一度間違えて覚えてしまうと直すのもお互いに大変な思いをします。耳コピや口移し、今の時代スマホで模範演奏の動画を頼まれてその場で撮っていくこともあります。それも時にはよいのですが、できることなら、好きな曲に取り組むのにできるだけ自分で、楽譜から生きた音楽を取り出せて、自分で一つ一つ納得して演奏につなげていけたらどんなにいいか。そうした本人の能動的な音楽体験の喜びは、そのかたの生活を支えるものになるに違いない。それにはもっとわかりやすく伝えていく努力をしないと。頭のなかはいつもそんなことばかりを考えていました。

タイムリーで楽典講座が始まり、初心者が白紙から学ぶような気持ちで参加したのでした。

入門講座 については、入門ですから初心者さんもいるなかで、谷中さんの適切な提示のしかたや情報の拾いかた、次の言葉掛け、などを学びたかったこと。

また、さきの発展プログラムでは複雑なこともやっていたので、再び基本に戻ってみたくなった、というのもあります。なにごともそうですが、慣れてくると「私は知っている」という意識が、素直に感じることの邪魔になることが往々にしてあるからです。

発展プログラムでご一緒したかたとも嬉しい再会、ほかにドラムをされているかたもいて、違う楽器のかたのお話は驚きの連続で楽しかったです。たくさんのヒントを持ち帰りました。

楽典は、なるほどのアイデアの宝庫でありがたい体験の数々、できればずっと継続して参加したいワークでしたが、遠方からの参加は経済的なこともあって、3回が限界でした。

個人レッスンで起きたこと

その3回のうち、2回目のときに個人レッスンもしていただきました。1年間休んでいた間にできなかった、インターヴァルスケッチ(音高のワーク)です。谷中さんの選曲で、ル・クーペのピアノの練習ABCの4番でした。

メロディーを歌いながら方眼紙に色鉛筆を走らせ、何回も何回も味わいました。最後の最後に、曲が終わりゆくところを速度をゆるめながらまあるく包み込むように描き終えたとき、ふと音楽に優しく包まれて許されたような感覚が起こり、不意にこみ上げぽろぽろ泣いてしまいました。

なんていうことのない小さな練習曲と思っていたのに。びっくり。

このワークはいつどこにどのように作用するのかはかり知れず、人の深いところにまで及ぶ可能性があるんですね。自分が体験してはじめて胸に落ちました。

発展プログラムの更新講座

諸事情でまたまた2年と少しのブランクがありました。

ブランクの度に思うのは、やはり生きた感覚の記憶は薄れてくるということと、変な自己流になってきてはいないか、という不安がどうしても発生してきます。

2019年9月に発展プログラムの更新講座に参加する機会に恵まれました。

ひとつの膨らませた風船を参加者が交代で手のひらで上にぽんぽんとつきます。それを描いてみるのだ、と…

うわあ、なんだ?この感じを?

友人(さきの発展プログラムからご一緒した参加者さん)が手の甲でも受けてみています。では真似して。なるほどそうか、手のひらと手の甲とでは違う体感だ。

う~ん、これをどうやって描くの…

久しぶりのどきどきと困惑。仕方ない、ええいっと描いていきます。

ちらっと友人の描いているのを見ると全然違うタッチ。うわあ、当たり前だけどどうしよう。大丈夫かな。

そんなどきどきもライブならではですね。久しぶりの再会にワーク終了後までいろんなことの話が弾みました。

これからの「音楽を描く」と私

いま2020年1月、出会いからそろそろ6年がたちます。いまも個人零細ピアノ教室であることに変わりはありません。まだまだ、レッスンでそうそう毎回いいアイデアが浮かぶわけではないですし、良かれと思って提示してみたけど的が当たっていなかったな、こうしたほうが分かりやすかったかな、と後で反省することもしょっちゅうです。楽典、音楽のしくみを伝えることも、まだまだこれから。

でも、出会う前とは比べものにならないほど可能性の広がりを感じていますし、なにより私の心が晴れやかです。

これからは、できれば年に1回は講座に参加して気持を新たにし、共に学び、「音楽を描く」という世界と仲良くしつつ、ぎゅっと握りしめすぎないで(寄り掛かってしまうと期待や焦りが出るので)、ちょうどいい塩梅の関係を保っていきたいな、と思っています。

現場で、気長で懐の深い人生の先輩方(生徒)の胸を借りていろいろ経験し、そのうちに棚のクレヨンたちが箱の中から

「あ、ここワタシたち出番だよね?オッケー!」

と言う声が、自然と聞こえてくるようになるかな?そうなったらいいな、と思います。

終わりに。思いきって書き始めてみたら、本当に長い長い文章になってしまいました。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。