2018.06.15 u.dの活用例

とりあえず真似てみる、からその先へ

感覚を育む音楽学習法’音楽を描く

とりあえずまねてみる、からのその先へ

個人レッスンを受け始めて半年ほどを経て、「自分で」音楽を掴んでく、ということがどういうことなのかをおぼろげながら、つかめはじめている、そんな気がする、Sさん。”先生の言う通りとりあえず真似てみる”、それはあらゆる学習の中で、必要なことなんだと思いますが、でも、そこから先、自分に引き寄せていくためにどうすればいいのか?となると、実は、あまり突っ込まれることのないところで、そこで迷ってる人も多いような気がします。そんななか、Sさんは初めての受講のときに、そこを超えていってみたいな、と思われたんじゃないかなと思いました。そして、まさにそこから「音楽を描く」は始まっていきます。

音楽を描く’の講座の前に皆さんに読んでいただく文言があります。
それは、要約すると、自分の感じることを閉じないでやってみよう、というようなこと。

そうすると、だいたい、反応はこんなふうに分かれます。
一つは、 不慣れなために、何を描いていいのかわからなくなる、というパターン。
もう一つは、感じるままに、自由に、奔放に描く、というパターン。
それから、 やっぱり、私がつたえたとおりに、同じようにやってみよう、といういうパターン。

正解はありません。それはその人がどこからスタートするかな、っていう順番の問題なだけで、そこには、それぞれに、なにかを感じているからこその行動なんだと捉えられます。何を描いていいかわからない、っていうのも、自分に正直だからだし、感じるままに描いていくのだって、 とりあえず真似しながら自分の道を探る、というのだってあるわけで。

さて、ここから、どこへ向かうか。大事なのはそこからの話。

感覚・感性・感受性・印象・・・内と外の情報とそして音楽

音楽から得る情報が一方にあって、もう一方にある 個人の体験の中には、感覚(sense) 感性(sensibility) 感受性(sensitivity) フィーリング(feeling)・・・それぞれに微妙な差異と 受け取ったり形成したりする場所や 意味の違いがある。そして、ここでは音楽の情報だけを大事にするのではなくて、もう一方のその人のそんな複雑な体験もまな板に乗せて先を目指します。その中で、否定するものはなにもありません。すべてがその人の音楽を生む要素です。

「音楽を描く」ことでやっていくのは、その、ごちゃごちゃしているものの交通整理をしていくこと。それも、先生に言われて、直していく、なんてことはできないわけで、自分で、なにか 気づいては修正したり、分類していって、それぞれを使えるツールにしていくこと、がテーマになっています。

つまり、人はみんな音楽を受け取るだけじゃなくて、外の音楽を頼りにしながら、 自分の中からも生み出していくことができるのだけれども、それができないのは いろんなものが絡まり合っていることが原因の一つで、音楽という情報をうまく自分の中に通過させられない。で、その 内、外 を結ぶ通り道の風通しを良くしていく・・・どうしたらいいか。

だから、まず、感じる。そして、まずは自分の傾向を受け止める。これはなんにも否定的に取る必要はないのだけど、それでも否定的にとってしまう、という場合は、その否定的に取る自分も含めて、情報、なんだから、それはそれで取り分けておけばいい。

そしてその先。

感覚、それは、音と自分を結ぶ通路で、それを体験的に気づいていき、自分でそれを確かめられる。

Sさんとのレッスンのなかで、私もあ、っと気づくことができて、ちょっとした提案をしました。

そうしたら、描線が変わってきた。私自身も、どうしたら、やっていること(音楽の普遍性)を共有しながら、その中にその人の体験に関わるようなワークにしていけるか、ということは毎回あたまを悩ませるのだけれど、それがちょっとわかった瞬間があって、おお、Sさん感謝、と思いました。

そして、音高をとったフレーズのスケッチはやっぱり難しいなー。勇み足にならないように、あくまでその人の体験を大切にしながら、伝えていきたいな。