国語教師の大村はまさんから音楽教室がまなぶこと
一度もお会いすることはできなかったけれど、私が師と仰ぎ、自分の音楽教室で生徒に音楽を教えいて迷いが生まれた時必ず読み返すのが大村はまさんの本です。
その姿勢・理念・具体的な教え方・生徒との関わり方は一つ貫いて同じものが流れていますが、とても立体的で生き生きとしていて、信念はあるけれども頑固ではなく、冒険に満ちています。
そして、大村はまさんのような人こそが「先生」なんだと思っているので、私はとてもこうにはなれない、だから、「先生」をやめた、そのきっかけの一つとなっている人でもあります。私もいつか自分が「先生」であることを認められる日が来るのかな、気負わずにゆっくりすすみたいけれど、でも、いつもその先にこの大村はまさんがいることがありがたいと思っています。
さて、でも大村はまさんは、国語教室、私は音楽教室の先生、扱っているものが違います。何を学びどんなふうに反映させていけばよいでしょうか、改めて、考え直してみたいと思いました。
”裾を持ちなさい”の声かけ
裾を持ちなさい
国語教師だった大村はまさんの話のなかにこんなのがありました。
なかなかねまきの浴衣がたためなかった幼いはまさんに、傍を通ったお母さんが
「裾を持ちなさい」と、それだけ声をかけて通り過ぎた、それをきいて縫い目の通ったところの裾を持ったところ、美しく畳むことができた。
はまさんは、それで「ちゃんと畳みなさい」という言い方をせずに、「裾を持ちなさい」と言えるような教師でありたいと思っている。
「姿勢を良くしなさい」「なんとかしなさい」ではなくて、自然にそうなっていくようにする。
「だめですよ」でやめては教師はだめなんだ。と。
褒めるだけでは教師としてなにもしていない
もう一つ。
たくさんの先生に良い評価をもらっていたある授業の話、けれどはま先生は、それを良しとは思えなかった。授業はこんな感じです。
手紙を書くという国語の授業の中で、生徒が先生の指導によって何か書き足りないものを思いついて、それを書きだし、先生に「これはどこに入れたらいいんですか」と尋ねる。そうしたら、先生は「それはこのいい頭が考えるのよ」といい、子どもも「いい頭」というのが嬉しそうだった。みなそれを素晴らしいと言っている。
ところがこれをはま先生は「教師としてなにもおしえてない」というのです。いい頭なんて洒落たことを言うよりもっと大事なことがある、ということですね。これを素晴らしいとおもう教師の多いことを怒り、憂いていました。
はま先生は、
「それはね、全部で文章はこうなの」「一段目のあとへいれたらどう?いやいや、おしまいだっていいんだけれどね。おしまいの段落にそれ入れたらいいかもしれないね。もう少し考えてみる?」
それから「どうするかはこのいい頭が考えるのよ」といえばいい。と。
そう、国語の教師ですから。
音楽を教える人間も、いえ、それだけでなくて、いろんなところで、こんなふうに会話ができたら、 世の中ってもっと全然違う様相になるのではないかしらと思います。そう、たとえば音楽に関わる人だったなら、音楽のこと、こんなふうにきちんと中身に分け入っていけるだけの具体性が見えていなければ、ということ。それがプロでしょう?と。
がんばれとか、よく頑張ったねとか綺麗にできたね、じゃ何も教えてないってことね。
動く心に響くことばと解像度
先生とは、往々にしてダメ出しする人だったり、やたらと褒めてくれる人だったり。
むしろ、そのほうが先生らしい、とすら思えてきたりするくらい一般的な先生像。
でも大村はまさんは、それを「何も教えていない」といいます。耳が痛い。
国語の先生なら、ちゃんと国語の使い方をおしえなければ、と。
ダメ出しも、褒めるのも、後。
その前に、生徒の心が動くような「わかりやすく、具体的な」ことばで、しっかりと事物の中に目を開けてはいっていけるような、解像度の高いことばをかけることが先。
あと、ちゃんと的が当たることを言うことができるか、ということも。
大村はまさんが言っていたのはそういうことだと、最近やっとちゃんと言葉にできるように私もなってきました。
環境・教材・アプローチ
図書館・新聞の切り抜き・教科書縦断
また、大村はまさんの授業は、決して停滞していない、というのも、読んでいてワクワクします。
例えば、授業を教室ではなくて、図書館で行う。必要なときに、生徒たちは思い思いに図書館を歩き回って必要な資料に手を伸ばす。
戦後間もないころ、まだ教科書など子どもたちの手元になかった頃には、一人ひとりに新聞の切り抜きを渡して、一人ひとり違う課題を与えたのだそうです。学ぶことに飢えていた子どもたちが、一心不乱にその課題に向き合う様子を、さまさん自身が語っています。(それを読んで、これこそが学ぶということ、と感動しました。誰のためでもなく学ぶというのは今、その瞬間の自分自身のためであるはずですよね。どこかですり替わってしまっている現代が悲しいと思います。・・・残念ながら、どの本だったか思い出せません。)
また、一冊の教科書から「ことば」という言葉とその周辺の文章を書き出して、その使い方を分類分けするという授業。これは刈谷夏子さんが実際に受けた授業だそうですが、 その課題を生み出す縦横無尽さと的確さには、どこを読んでも目からウロコです。(教えることの復権/苅谷剛彦・刈谷夏子)
ああ、まだまだ、型にはまって抜けられないようなワークだなあ、自分。悔しい。
utena music field が大村はまさんから学んできたこと
大村はまさんの授業のポイント(私なりにまとめてみた)
大村はまさんの授業の特徴を自分の言葉で箇条書きしてみました。
- 生徒が気付いているところより、ほんの少し先へ解像度をあげる
- 対象の焦点の当て方を一つではなくて、いろいろに変化させてみる
- 学びに入り込んでいくための入念な準備
- 人のいきいきとしたところへ働きかける
- 能動性が学習へと方向づけされる
- 学ぶことがその人を生き生きとさせる
utena music field が大村はまさんから学んだ大きなふたつのことがあります。
一つは具体的な取り組みの方法。如何に、そこに的が当たる教材をつくるか
もう一つは、人が学ぶとはどういうことか、という、といの答え。
言葉には仕切らないけれど、それがあるからこそ、大村はまさんは的を外さない(はずしようがない)のだと思います。
大村はまさんの授業と音楽は根源的なところが同じ
音楽は非言語コミュニケーションです。
その点では、国語を学び貫いた大村はまさんとは教えている内容が違う・・・でも、どうでしょう?ここまで読んでどう思われましたか?
確かに、大村はまさんがやったことを音楽教室に置き換えていくには、なかなか変換が大変です。
でも、私はここに教えることの一つのモデルをみた思いがするのです。
私は音楽だけではなく、様々な分野の芸術療法に触れた経験があります。
そのとき、すべての芸術が”人の体験”に触れていく根底で、同じものに集約されるということに気付かされました。いえ、集約されるというのは、表面からみた言い方になりますね。源泉が同じ、ということです。大村はまさんのやっていること自体が、その根底から湧き出てくる芸術、でなくてなんでしょうか。まさに、教育が芸術行為、そしてその芸術的根源をもつ教育こそが人を豊かに育ててくれる・・・それは源泉と自分とのパイプを確実なものにしてくれるから、だと思うのです。
翻ってみて、私も含め音楽教室は、どうでしょうか?
根底から見直すべきなにかがあることは間違いないと思うのです。
これは私の捉え方の特徴だと思うのだけれど、音楽でも語学でもなんでも根底で大切にしなきゃいけないことは結局同じところに行き着く、行き着くというところを「いつか」とか「極めれば」というはなしではなくて最初っからそこを主軸にやっていきたいというのがあります。大村はまさんの方法は、どこを切り取ってもわくわくするのです。それはなにかというと、いつもその源泉から湧き出してくるもので作り上げているからだと思います。これは音楽教室をやっている自分も取り入れるべき基本姿勢やなと思います。
また、大村はまさんのお母さんが「ちゃんとたたみなさい」ではなく「裾を持ちなさい」という言葉を選ぶ、そのためには、何が必要だったでしょうか?
そこに必要なのは経験と観察の蓄積が、まず必要だったと思います。
私たち音楽教室の先生が、学んできた音楽、それを私達はどのくらい熟知しているでしょうか?
生徒がなにかに疑問を持った時、立ち止まった時、いったい先生の私の中からどれだけのツールをもってどんなアプローチをしていく方法を持っているでしょうか?
それが生徒とのコミュニケーションで活かせないと、「この良い頭が」と別次元に飛んでしまう、そう思います。それを、人の動きに即したポイントで語りかけること。
動かない場所から動かない場所へ話しかけることが「ちゃんとたたみなさい」の方ですね。
私(谷中)は、音楽と人の間をつなぐツールとしてutena drawing という方法を考案しました。確かにこのツールは便利です。でも、この動線を動かしていくのは結局は人です。これからも時々大村はまさんの本を引っ張り出して初心にかえりながら、深めていきたいと思いました。
大村はまさんの本
ここに、主な大村はまさんの本を挙げておきます。おおくが絶版となっていて、残念なことです。
購入可能なものには紀伊國屋書店のリンクを貼っておきます。
優劣のかなたにー大村はま 60のことば刈谷 夏子 著2012筑摩書房 ¥1980
教師大村はま 96歳の仕事 小学館 ¥1980
大村はま国語教室全15巻渓水社 2013
日本の教師につたえたいこと ちくま学芸文庫大村はま ¥990筑摩書房
灯し続けることば大村はま ¥1047小学館
教えることの復権 ちくま新書大村はま/ 苅谷剛彦/刈谷夏子 ¥902筑摩書房 (電子書籍版あり)
大村はまの国語教室2 さまざまのくふう大村はま 小学館 1983
大村はまの国語教室3 学ぶということ大村はま 小学館 1984
「日本一先生」は語るー大村はま自伝国土社 1990
教室をいきいきと 1・2・3・1987 大村はま 筑摩書房
ことばの勉強会大村はま ¥990共文社
教えながら教えられながら大村はま 1989 ¥1324
やさしい文章教室ー豊かなことば正しい表現大村はま¥908
新編教えるということ大村はま ¥880筑摩書房
お知らせ
utena music field の音楽プロセス体験
utena music field は人と音楽が豊かに交流できるutena drawing という方法を用いながら、音楽そのものへの理解と体験を深め、さらに音楽と仲良く、演奏に結びつける、音楽学習の方法を研究しています。一度体験してみませんか?