【ショパンのエチュード作品10−6】内声のゆらぎ
ショパンの12の練習曲集作品10の6番は、物静かで鬱々としたメロディでありながら、ふつふつと湧いてくるなにかがそのメロディの奥でうずく。それが、この曲の内声部の絶え間なくゆらぐ16分音符のながれ。
高機能自閉の青年のレッスン。彼はハーモニーに関しては、誰に習うでもなく素晴らしい感覚を持っている。音の持つ空間がまるではっきりと見えているかのようだ。でもその一方で時間の流れに弱く、いつも楽譜上の縦(空間)に対する横(時間)のことで落ち着かなくなる。今回のレッスンでもそれが原因で、この内声部の動きが彼の演奏をとてもたどたどしいものにしていた。
こういう時、例えば「もっと中をなめらかに」などという指示は何も言っていないのと同じ、と私は思う。滑らかにしようとしてむしろその人の持っているものを規制していくことにはならないだろうか。
それで、内声部の流れを生んでいくための動きを彼とあれこれ話しながら模索していった。のが下の写真
下の方の淡い線は、その試行錯誤のあと。濃く描かれているのが、それを踏まえて彼が捉えていった、内声部のオスティナート
描いたあと、改めて全体を弾いてもらう。
一小節内であちこち切れていた流れが、一つになっていた。
そしてそのことによって全体の見通しが良くなり、メロディが浮き彫りになってきた。
描いて練習したのは内声なのに、結果としてはメロディのほうもともに良くなっている、というのは、この見通しが良くなった、ということによるのだろうと思う。
描く動きは、楽曲だけでなく、その人のキャパシティにも応じたものにしていく必要がある。あまり細やかすぎるフィギュアではこの場合、帰って大切なものを見失うだろう。
また、一応私があれこれ考えたものも、やっているうちにその人の使い勝手の良いものにすこし、変化していく。それがきくことを広げていくような性質の形ならばそれが一番良い。
けれども、むしろその人の癖を助長するものならば再び手をいれる。
そんなふうなやりとりのあとに形が決められていく。