10-11月の東京講座日誌
音楽を描く’入門講座と楽典の講座から始まって、ちょこちょこ個人レッスンがはいりつつ、研究コースで最後、という、今までとちょっと違う滞在スケジュールでした。今回は、個人宅・仕事場などを訪ね歩くこともあり、その度通り過ぎる池袋や新宿・上野駅のとんでもない雑踏にも大分慣れてきた私です。田舎にはない、あの雑踏の動き、人々の群れのようで、一人ひとり行き先の違うつま先でうごめいている 生きている感じはかなり好きですねー。どんな音がしていたんだろうと今ちょっと思ったのですが、駅のアナウンスの他は思い出せない。あまりにも多くの人のノイズにも場所としての個性はきっとあり、次には絶対に 場所場所の音を記憶して帰るぞとおもいます。
さて、講座日誌。
このような小さな教室のHPを訪ね、講座を受けてみるというのは、なかなかに勇気のいることだと思いますが、それでも扉を叩いてみて頂いた、というのはとてもありがたいことです。一人でも多くの人に知ってもらいたいと思いながら、どのように出会っていけばいいのか、未だ模索の中なのですが、ただ、そのあり方はいわゆる”集客”で一括りにできない、有機的なプロセスを大切にしたいと思っています。そうした思いが伝わり始めて来たのでしょうか。私はそれは、一人の人の意思 という点からしかはじまっていかないようにおもっています。ここ、と思って扉を叩いて頂いた方、問い合せ頂いた方、その点があちこちに生まれ始めている予感が嬉しい今回でした。
初めて受けていただいた方は、おもったとおりというかたと、以外だった、というこえが半々。そして、また続けてみたい、、ということ。はい、ぜひまた、一緒にやってみましょう。
そして、東京講座を始めてから、ずっと続けておられる方の個人レッスンが やっときちんと本当に的に当たり始めたということ。自分の音楽への理解や感性を総動員して、スケッチに向かい、悩み、ほんの少し手助けしながら、一緒に掘り下げていくのは 描く方法ではなくて、”音楽”そのものであるし、音楽と自分との接点を広げていくことです。
そのプロセスには、決して、最初の楽しい!というところにとどまっているわけにはいかず、否応なく、自分と向き合わされるしんどさもあります。けれど、自分で何か得ようとあがいてみる、その真摯さには、こちらがうたれるものがありました。私も、私の音楽のコピーではない、その人がその人のプロセスを経たからこそ生まれてくる音楽に並々ならぬ興味があります。
私自身は、もう、この”ことば”と一緒に生きていく覚悟・・といったらとっても大げさで、なにか、もう当然の仕草として、共に生きて行くんだなあという感じですが、誰かにちゃんとこれを手渡せて、その人の中でその人の音楽として生きはじめる・・そこまでのいろんな苦しさもないわけではない、まだまだ採算があうような仕事にはなっていないし、伝えていく過程でしんどさを抱えてしまうときもあるけれど、でも、この絞り出したもの、それが私のものではなく、その人のものになっていくことが、私は本当に嬉しい。
結局私がしたいのは、全てをひっくるめて、音楽であること、かもしれない。音楽とは、楽器によって鳴らすものだけではなく、人と人のあいだにすでにあるもの、その眠っているものの本質に迫っていくこと、それを揺り起こしながら、人ってものを信じられる存在として感じ続けたいのかもしれない。誰だって、そう、自分がいつでも成長できる手応えってほしいじゃないですか。ほんのすこしでもいいから。その手助けが少し、できたらいいなあと思います。
入門・楽典・研究コースというグループでのワークも楽しかったです。その人の中で眠っていた感覚が目覚め、共振していく不思議さはグループならでは、の体験ですねー。
以上、東京講座日誌でした。