2016.02.26 u.dの活用例

u.dをアンサンブルに活かす(実況風記録)

連弾でのドナウ川の漣をutena drawing やってみると・・

友人たちの協力のもと・・・

この記録は2014年、まだ東京でのワークショップが始まる前、初めて大人向けのワークをやったときのものです。

2014/7/12 参加者3人(音楽教室講師1・音大生1・谷中)

使用楽譜 ドナウ川のさざなみ(イヴァノビッチ作曲・増本伎共子編曲)TOSIBA EMI/The Collection Of Pian Duetより

今回は私の方からお願いする形で、友人の二人に参加していただきました。
音楽を描く講座は見た目のシンプルさから、子ども向き、と思われがちですが、実際私自身がこれによって多くの学習ができてきたと思っています。
・・ならば、全く大人向けに講座を展開するとどうなるか、それが今回のテーマです。参加者はみな長年音楽を学んできた者同士です。

取り掛かる前には、あまりにすんなり動けてしまって、それがどうした?というあっけない終わり方になるかもしれない、という不安もありましたが、その心配は全然だいじょうぶで、それぞれに収穫がたくさんあったように思います。

音楽を描く’実況中継風 記録

まず弾いてみて・・・

楽譜はこんな感じ
Aさんが伴奏 Bさんがメロディ

最初におふたりで、初見の連弾。

といっても、もちろん、初見で十分弾ける腕前のお二人
初見なりの感じで・・・

ドローイング開始から波乱が・・・

さて、これから、utena drawing をやって、変化があるか試してみます。

最初に私が用意したスケッチのフォームを2人で描いてみました。

連弾を描いて練習

連弾の場合、同じスケッチを向き合って平行に描くことが多いです。

私とピアノ連弾も会うごとにやっているAさんと二人で。
すんなり行くと思っていましたが、中のわっかの方向や乱れ具合に既に波乱の予感。(笑)

AさんとBさんで。

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この至近距離で並行に動くのはなかなか難しい。

ren2

時々ぶつかってしまって、怖い気持ちもでてきて、思うように動けなくなります。

これは既に信頼関係が十分に育っている間柄でのスケッチなので、ぶつかっちゃ笑い、またぶつかっちゃ笑い、でしたが、これは場合によっては相手を傷つける事もあるので、注意。
これは私が絵画療法で学んだ教訓です。

ren3

私から見ていて面白かったのは、ピアノを弾いているA さんは一拍目入ってすぐの勢いが凄く速いのに対し、歌のBさんは立ち上がりが緩やか。

指示ではなく、共有から発展していく

ここでAさんから質問。

「ウィンナ・ワルツ独特の拍のうねりは考慮するか否か?」

私の答え

「えっと、どうでしょう?どうしましょう。」

これが進めていく基本スタンスです。誰かの指示で動くのではなく共有して考える。

とりあえずこの問題は保留。

違和感

これから、Bさんの

「なんか ちがう」のひとこと。

では、何が違うんだろう、と、Bさんひとりでやっていただく。

「中のわっかが、もっと大きいほうがいいのかも」

やってみる。

「うーん・・」

「自分ですきにフォーム作ってみたら?」

とAさん。

裏返した白紙の前で、少し戸惑う様子。

いざ、作ってみようと思っても戸惑うのも当然。

フォルムを変えて

私の意見を聞いて八の字を横にした形に変えてみることに。

ren4

私の中真ん中の交差点が1拍目なのだけれど、Bさんはなにか違う。

よく観察していると、外側の膨らみが1拍目に自然となっていく。

ここにも立ち上がりの柔らかさを無意識に求めている感じが私にはした。

けれど、本人は無意識。

本人のやっていることが 客観的に眺めている人のほうが理解できる、というのも、スケッチの特徴。ただ、やっぱりこれも取り扱い注意。だいじなのは、何か分かるか、というだけでなく、それをどう共有し、伝え合うか。

・・ということで。八の字横で再開

まだずれが。

私も時々交代しながら、いろいろ話し合いながら、何度も繰り返す。

少し戸惑い気味のBさんにAさんが

「Bさんのペースでやってみて。」と。

「うた科らしく(笑)」

更にくりかえし。

気づき

AさんBさんのふたりのとき、Bさんだけが歌っているのに気がついたので、

「Aさんも歌ってみたら?」といったら、「そうね」

今度は、

あってきた。

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カーブが気持ちよく並んで動くのが見ていても気持ち良かったです。

Aさんがひとこと

「相手を聞こうとばかりして、歌ってなかった」

すごい。

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最終的にできたスケッチ

終始、笑いが絶えない中にも、それぞれの音楽への思いも伝わってきました。

ふたたび演奏を・・なにが変わった?

さて、もう一度ピアノに座って二人でピアノを弾いていただきました。

明らかな変化を感じたのは、BさんよりもむしろAさんのほうでした。

おとが格段に滑らかで、メロディに寄り添うように馴染んでいます。

それでいておおらか。

「なにがかわったって、Aさんが・・」

と正直に伝えると、ご本人もわかる、とのこと。

それを引き出したのは、Bさんの違和感あってのことだったということ。

ここにこのワークの底力を見たような気がします。

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あとから、考えたのは3拍目の共有ができる方法を一緒に考えたら、もっと違う流れもできていたのかなと、思いました。

もし次回というものが可能であるなら(残念ながら、時間的に無理ですが)3拍目の共有がメインになってくると思います。そしたらAさんの質問にあった、ウィンナ・ワルツ独特の拍のうねりもともに味わうことができたかもしれません。

参加者へインタビュー

以下参加者の感想です。

神経を使わなくても音の響きが整う

Bさん

スケッチをすることでお互いの呼吸が自然と合うワークにもなるが、それ以上の本来の音楽が融合しまた、神経をさほど使うこともなく、自身の音の響きが整っていることにおどろきました。。

谷中

響きが整う。それは音の響きを聞くから、整ってくるのでしょうね。伴奏のきこえ方も変わりましたか?

Bさん

伴奏の聞こえ方?変わったと思いますが、私自身その日は、あまり余裕と言うか、音楽を感じることができない日でした、スケッチでようやく起こされたと言う感じでした。

谷中

多分なのだけれど、あの日、3拍子の3拍目を楽しく出来るフォームを一つ取り入れたら、みんなで共有できて、余裕もできたかもしれないなあというのが私の反省です。ご苦労様でした。ほんとにありがとう。

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合わなかったものが一緒に歌うことで共鳴

Aさん

始めて参加させていただきました。すみません。少し長くなります。

数日前に自分の意識の中では恐らく正式に始めてこのワークのの話を伺い(読ませて頂き)ました。

子供とのリズム体験を体や言葉遊び等でしかやっていなかったもののその中に常に曲線や放物線のようなうねりを感じ取って欲しいと思っていたので、谷中先生の「点と点ではなく…」と言った説明や音楽を描くワークそのものは比較的すっと体や頭に馴染む気がしたのが第一印象です。
そしてこの実践の日、漠然と泉先生とモルダウのピアノ連弾をしたのち始めての描く体験。

アンサンブルは好きと自負があったものの、ぶつかるはずのない相手とのぶつかり、テンポや気持ちがしっくりこなかったり、と以外にあれっと思わされることが起こり少し驚きました。

3人の中で相手を変えたり、考え方や見方の角度を変えて見たりして話し合ったりする中、始め描いていた大きな丸の中の小さな丸の形からこの無限大の形に変えて見ることに…単純に歌や音楽に合わせて描くだけのように見えるこの作業がほんの少し(例えば何処から描き始めるのかといったような小さいけれど大切なこと)の事で随分変わることに気付いていく楽しみがそこには満載していました。

そして演奏している時にはとうにソリストと伴奏者であってもアンサンブルであり共鳴が大切とわかっていたはずの自分が、
うてなスケッチをしている時には何とか相手に合わせようと焦りすぎて合わせられずにいるのでした。

「一緒に歌ってみたら」の谷中先生の一言に自分は歌わないで相手の歌ばかりを聞いて追おうとしていたことに気付かされました。

勿論色々な試行錯誤を重ねたこともあり自分も一緒に歌う事ですっと綺麗に泉先生と共鳴したように思います。

最後にもう一度連弾に戻った時はピアノの音色や指の感覚そのものもすっかり変わっているという不思議体験をしたのでした。

素敵なひと時をありがとうございました。普段は遠くにいるので機会に恵まれませんがまた違うセッションを持てることを楽しみにしています。

utena music field の感想

谷中

なかなか私には見えることができない視点からのご感想とても貴重です。ありがとう。あいてにあわせよう、と一生懸命だったのは泉さんも同じだったと思います。指の感覚までちがっていたの?そこのところ、もう少し聞きたいです。お忙しくなければ・・相手に合わせよう、という思い自体は、素敵なことなんですよね。その先にまだ道があるってことですよね。

おまけ

違和感の意義。
音楽を描く講座の現場では違和感を大切にします。そこに大きな収穫が潜んでいるからです。違和感は自分を振り返ることにもなるかもしれないし、他者を動かすことになるかもしれません。

連弾のワークにおいてはもしみんながすんなりと描けていたら気づけなかったかもしれない気付きがあったと思うのです。生徒ー先生の間柄だと、こうよ、と指導することが多いのですが今回のことのような経験は貴重でした。そうやって考えるとこういう対話自体が一つのスケッチの修行ともいえるかもしれませんね(笑)。「何を、ではなく、いかに」・・そう、スケッチをするという行為やフォルムを守ることがだいじなのではなく、そこに至るプロセスすべてがスケッチの工程なのです。